第1回「能海寛・ふるさと100kmトレイル遠足」江本流完走記 其の3

 聖湖は、周囲27キロの人造湖だ。
 臥龍山(1223m)をあおぐ、森に囲まれた静かな湖で、あたりは、リゾート地としても開発されている。毎年9月には、湖畔を走る聖湖マラソン(ハーフ)も催されている。
 
 本来なら、とても気持ちのいいランができそうないいコースなのだが、100キロを走る身としては、まだほんの序盤、あまり楽しむ余裕はない(ハーフも悪くないな)。それにこの3日間、風邪で寝ていたつけが、早々と出てきて、やばいなあ、もうしんどいなあ、と思い始めている。
 そんな時、すずやかな娘さんの声を聞いたので、元気が出ないわけはない。
 
 声をかけてくれたのは、前夜祭で最年少女性ランナーとして紹介された地元島根県の林さんだった。

 海宝さんが参加者に配布した資料によると、第1回「能海寛・ふるさと100kmトレイル遠足」は、予想以上に参加希望が多く(当初は100人の募集であった)、最終的にエントリーしたのは175人。平均年令は男50・5才、女47・9才、最高年令は71才の広島県からの男性ランナーだった。
 そして、最少年令が25才の林さんとその友人だった。前夜祭で林さんは、ステージの前に呼ばれて参加者たちに紹介されたので、私も顔は覚えていた。
 
「100キロなんてはじめて。ゆっくりでも、絶対完走したいんです」という彼女の言葉に、私もしゃきっ、と背筋を伸ばす気持ちになった。ほんとに、そうだ。このあたりで弱気でどうする。
 以後、林さんと話しながら、ゆっくり走りを続ける。
 100キロ遠足の良さは、その気になれば、適当に会話しながら走れる程度のスロー・ペースで行けることだ。たまたま知り合いがいないことが多いので、普通は案外黙々、のろのろと走るのだが、いい同行者が見つかれば別だ。以後、林さんとあれこれ話しながら行くこととなった。
 「中国にも行ったんです。難しかったけど、江本さんの本も読みました」
 
 きょう走っているランナーたちの中に、能海寛のことを知っている人は、まだそれほど多くはないだろう、と思う。地元島根県のランナーは13人エントリーしているが、全員がチベットから帰らなかった郷土の学僧について詳しく知っているわけではないだろう。能海のことをよく知っており、私が書いた『能海寛 チベットに消えた旅人』(求龍堂)という本も読んでくれていた林さんはそういう意味でありがたい人だった。
 
 金城町を中心として、能海寛研究会という、ことしで発足10年になる研究グループがある。能海寛の足跡をたどり、貴重な資料を発掘してきた地元の郵便局長、隅田正三さん(きのうの前夜祭の準備をはじめ、今回の大会でもいろいろ走りまわってくれている)が、事務局長をつとめ、東京はじめ全国に会員がいる。
 近年は、研究会副会長の高校教師、岡崎秀紀さんらが中心となって、能海が徒歩で旅した中国の寧夏回族自治区とも交流していて、時折、島根県から訪中団を組織して現地を訪ねたりしている。
 林さんは、その訪中団に入って、現地に行ったこともあるという。岡崎さんも知っているそうだ。

 23・2キロ地点に芸北博物館入り口の4番目のエイドがある。ここで給水を受けたのが8時10分。トップの人は相当先を行っているだろうが、こちらは時間内になんとかたどり着ければいい、とのんびりだ。
 いや、20キロを過ぎて、実はそろそろ足に痙攣が来るのが心配で、もたもた走りしかできないのだ。

 1年前、はじめてホノルル・マラソンに参加した。ホノルル郊外に長逗留していた友人のアパートに寝泊まりしてオアフ島のあちこちを彷徨うのが目的だったので、マラソンそのものは、ついでに走ってみた、に近い。しかし、トレーニングをろくにしないで試みたのは無謀だった。
 どどっとスタートした人波に押されて、涼しいうちに多少稼いでおこう、という魂胆もあり、20キロあたりまで、普通のランニングをしてしまった。
 と、20キロを少し過ぎた地点で、突然それが来たのだ。
 右のふくらはぎに何かがつつーっ、と走ったかと思うと、激しい痙攣が襲ったのである。思わず立ちすくむと、左足にも。道端に倒れるようにして座り込み、どれほどの時間、痙攣の痛みに耐えたか・・。
 
 あの時の恐怖が、いま、20キロを過ぎたあたりでしきりに思い出される。あんな状態にだけはなってはいけない、と身体が言い聞かせている。
  ウエスト・ポーチにしのばせてあった『芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)』を水で飲む。よし、これさえ飲んでおけば、大丈夫(実は、昨夜のうちに、すでに飲んでいるのだ)。
 
 “鉄人ドクター”と称される、小野木淳さんが書いた『あぶないランナー』という本が貴重なヒントだった。(続く)

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EMOTO Yoshinobu 江本嘉伸
著者:江本 嘉伸(えもと よしのぶ)さんのご紹介


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