ウルトラマラソンとの出会い
ウルトラマラソンは、ヨーロッパにおいては100年以上の歴史を持つスポーツですが、日本では、20年程というところでしょうか。
代表的な大会としては北海道サロマ湖100kmウルトラマラソンがありますが、1986年にスタートした時には参加者100名程の規模で始められた大会が、現在は参加者が2000名位ということです。
年々、ウルトラマラソンの愛好者は増え、大会は各地で開催されるようになりました。
種目も1日で終わるものだけでは無く、ステージレースあるいはジャーニーラン(走り旅)など、長 い距離を楽しむランナーが増えて来ています。年齢は20代〜70代と幅広く、記録に挑戦する、あるいは 制限時間の中を楽しみながら完走に結び付けるなどと楽しみ方も様々です。
私が呼びかけている「さくら道270kmウルトラマラソン」(名古屋〜金沢:制限時間48時間)では、人生経験豊かな中高年層の方が若い方たちよりも完走率が高いというデータがあります。
他のスポーツにも言えることですが、ウルトラマラソンも、”走カ”とか”技術”以上に、”精神力”が重要な比重を占めるように思えます。
制限時間を頭に入れ、走りを楽しむ、調子が悪くなったとき、自分自身をどうコントロールするか、苦しさをどうすれば楽しさに変えられるか、変わり行く天候にどう対応するか、サポートしてくれる方たちとの関わりを楽しめるか・・・・、ゴールを目指しながら自分自身と向き合い、その過程を楽しめるかどうかなど・・・・。
様々なことを乗り越えて完走したときの充実感、達成感が、次にまたチャレンジしてみようという大会参加へとつながるように思います。(例え完走につながらなくても、走れた距離がその時の自分のゴールと受け止めることで、次へのステップと考える。)
ウルトラマラソンを楽しむには、遥か彼方にあるゴール地点まで果たして走る切れるだろうか等と考えず、少しだけ前に(例えば、次のチェックポイントなど)走る目標を置くことで前へ進む力の継続となり、ひたすら走り続けるだけではなく、時には、ウオーキング(但し、速歩)を取り入れることで、足の負担を軽くし、また、コース上にある店にちょっと寄ってみたりして、長い距離を楽しみながらゴールを目指すことで、結果としてゴール地点へとつながることになるように思います。
記録のみにこだわらず、長い距離そのものを楽しむということに目標を置けば、高年齢まで十分楽しめると確信しています。ウルトラマラソンは大変魅力があり、奥の深いスポーツだと思っています。
私が”走ること”を楽しむようになったのは、32歳のとき、仕事などのストレスからめまいに襲われるメニエル症を克服するため、医者から運動などをして気分転換をするよう勧められたことからでした。
最初は1km走るのもやっとの思いでしたが、少しずつ距離を延ばし、フルマラソン完走、そして、より長い距離を走るウルトラマラソンの魅力に取り付かれるようになりました。
長く走ることが自分に合っていたようで、ウルトラマラソンを楽しんでいるうちに、メニエル症は治り、病気に対する不安感もすっかり消えていました。
’87年〜’91年サロマ湖100km、’89年ギリシャ・スパルタスロン(246km)、’92年広島〜長崎(430km),’91年東海道(日本橋〜京都506km)完走などと走る距離を次々と延ばしていた頃、’94年6月、21年間勤めていた精密機械部品会社の事業所がリストラで閉鎖、失業することになってしまいました。
私は、このことをちょうど良い機会と考え、退職金をつぎ込み、ロサンゼルスからニューヨークまでの4700kmを64日間で走る「トランス・アメリカ・フットレース/北米大陸横断レース」(第3回)に挑戦、完走することができました。
心配していた就職先は、この大会のスポンサーであったムーンバットに決まり、’95年には、「トランス・アメリカ・フットレース」(第4回)のメーンスポンサーのムーンバットから派遣され、ランナーとして2回目へ挑戦する機会を持てることになりました。
自分自身では意識しているとは思わなかったのですが、会社の看板を背負って走るというプレッンャーが大きかったのかレース4日目には足を痛めてしまいました。その後も湿しんが出たり、歯を6本失うなど数々のトラブルがありましたが、サポーターや応援してくださっている皆様のお陰で何とか完走することができました。
4700kmを走破することができた私は、以前から温めていた、まだ、誰も走ったことがない〜シルクロード(ローマから奈良までの18,000km)を走りたい〜という”夢”への実現にー歩でも近づけたいという思いから、シルクロード18,000kmの内、約6,000kmを占めている中国において、’96年に、中国においては初めてのウルトラマラソンを企画、「万里の長城100kmウルトラマラソン」を開催しました。(今年は第5回目を10月17日に開催することになっております。)
私は’97年9月末、ムーンバット退社後、現在”走ること”での大会企画、運営などに携わっています。
’98年1月17日(土)「第1回宮古島100キロウルトラマラソン」(’97年3月に試走会)、’98年9月20日(日)には、ハワイ州において、初めての100kmウルトラマラソン「第1回モロカイ島100kmウルトラマラソン」を企画、開催致しました。
モロカイ島は、ホノルルから空路約20分の所にあり、周囲200km、フラダンス発祥の地で高層ピルも信号もひとつもありません。夜空には天の川がくっきりと・・・・・正に、川のように星の帯がつながっているのです・・・・自然が堪能できる島です。
年間、日本人が訪れるのは、100人前後ということです。ハワイ州知事から歓迎する旨のメッセージをいただいたり、フレンドリーな現地の方たちのサポート、島全体の応援をしていただき、モロカイ島の自然と人々との出会いを楽しんでいたたけたように思います。(第2回目は、9月18日開催が決まっています。)
また、5月1日、しまなみ海道(広島県尾道市⇔愛媛県今治市)が開通するのを記念して開催される「瀬戸内海大橋完成記念イベント」の一環として「’99しまなみ海道100km遠足(とおあし)」(コース:広島県福山城〜向島〜因島〜生口島〜大三島〜伯方島〜大島〜愛媛県今治城:本州から四国へと9つの橋で6つの島を渡る。)が自主企画イベントとして参加承認され、6月6日に開催することになっています。
昨年6月、しまなみ海道のコース下見に出掛けた時に、コース上にもなる瀬戸内の生口島の平山郁夫美術館を訪ねました。私は、平山郁夫画伯のシルクロードの絵に大変関心を持っているので、機会があればあちこち美術館へ足を運び楽しんでいます。
7月初めには、奈良の薬師寺を訪ねて来ました。玄弉三蔵院において、現在、平山郁夫画伯が描かれている絵を2000年12月31日までに描き上げ、2001年1月1日に名入れ式をするということですが、因に、私の”シルクロードを走る”という壮大な”夢”の計画は2001年1月1日にローマをスタートし、2002年の春に奈良の東大寺を経て玄弉三蔵院へゴールするというものです。
コースとしては、イタリアのローマをスタート、フランスに入り大西洋の海岸へ出て、ユーゴスラビア、トルコ、イラク、イラン、パキスタン、中国(西安〜北京)、そして、日本へとゴールしたいと考えています。
達成出来れば、大西洋から太平洋へと横断することになり、私は、北米大陸を横断(’94年、’95年、トランス・アメリカ・フットレースを完走)しているので、シルクロード18,000kmを走ることで地球1周横断することになるのです。この”夢”の実現に向けて、少しずつでも具体的に前へ進めることができたらと思っています。
”走ること”、特に、”ウルトラマラソン”と出会い、今まで続けて来たことで私の人生が豊かになっています。”ゆっくり走っていると、いろいろなであいがあります!”これからが、楽しみです。
1999年2月 記
海宝ロードランニング 代表 海宝 道義