第1回「能海寛・ふるさと100kmトレイル遠足」江本流完走記 其の5

 中間地点までの間に、2、3人、先行しているランナーに追いつく。先に書いたが、この大会の参加者は「ほどほどのベテランぞろい」の感じ(エリート・ランナーばかりという意味ではない)で、まったくの初心者はごくわずかしかいないのではないか、と思う。饅頭が出た「珍々街道」のエイドで「この前のエイドを4人が通過したそうです」と教えてくれたのは、あなたたちの後ろにはもう4人しかいませんよ、という意味だったのだ。いま追いついたランナーは、その中でも私の走力に近いという意味で親近感を感じさせてくれる貴重な人たちだ。
 

 50・5キロ地点の「とごうち道の駅」に着いたのは、12時31分になっていた。03年秋の試走会でも、全員いったんここで集結し(つまり、私は車に収容されて一気に運ばれ)、楽しく昼飯を取った。きのう、城定さんの車でここを通過したこともあり、なんとなく御馴染み感覚を持てる場所である。
 わさび寿司はじめ、おいしいものが待っていた。うなぎ入りの巻き寿司もある。午前5時にスタートしてもう7時間30分たっているので、早く進みたいが、おいしい昼飯の誘惑には勝てない。疲れもあり、つい愚図愚図してしまう。
 林さんも間もなく追いついた。私は、彼女の思いを聞いてから、どうしても林さんにゴールしてもらいたい、との気持ちが強くなっている。
 「あまり時間ないよ。できるだけ早く動こう」と励まして先行した。もう午後1時になっている。ゴールの最終締め切りは、午後9時。16時間の制限時間のちょうど半分を使ったことになる。
 林さんもじきに追いついてきて、またしばらく野次喜多道中のかたちとなった。
 太田川の流れに沿って走る。国道を渡って、感じのいい橋を渡る。町から離れ、静かな環境のこの橋は、昨年、すっかり気に入って、皆で写真を撮った。ことしも林さんと写真を撮り合う。
 ここから次のエイド、加計駅入り口までは、川の左岸沿いの平坦で走りやすい道が続く。山を背にした集落の風景も、味がある。そういう、いい道なのに、身体が俄然重い。少し休みすぎたか、そろそろいっぱいいっぱいなのか。
 やがて、かっての船着場あたりにさしかかった。
 
 太田川は、冠山(1339m)を源流とし、瀬戸内海にそそぐ全長103km、流域1690k?の一級河川である。60年前のあの悲惨な原爆投下の後、多くの遺体が広島市内のこの川を流れた、とは当時から語り継がれている。かっては、広島市に出る川の道でもあった。
 能海寛(のうみ・ゆたか)も、この川を船で下って広島に出た。

 106年前の1898(明治31)年10月4日午前8時、能海寛は、波佐村の浄蓮寺を出発した。義父の謙信、母イクノ、6月末に結婚したばかりの新妻・静子ら家族、檀家一同ら数十人が集まり、浄蓮寺上流の「歳の原」まで見送った。皆がくれた5円14銭の餞別に自分が所持する3円56銭、母からの1円を加え合計9円70銭が旅立ちの日の全所持金だった。
 しばらくは弟の春谷登、新妻の静子がつき添い、11時、ついに別れる時が来た。はじめからこの日を覚悟しての結婚であった。しかし、これが、ふたりの永遠の別れとなるとは、誰も思わなかった。
 この日、初日は「行程八里(32キロ)」で、加計に泊まった、と能海は記録している。加計は目の前だ。私はすでに50キロ以上走っているから、能海は、より直線的なルートをたどったのだろう。
 翌10月5日、能海は川伝いに広島へ出た。「川里程十八里」とメモに残している。この太田川をチベットに思いを馳せつつ、31才の学僧は下ったのであろう。

 赤い鉄の橋を渡ると、57・2キロ地点、「加計駅入り口」のエイドだった。
 随分長い時間、待たせていると思うのだが、よれよれの身にエイドのスタッフの励ましはいつでもどこでも、ほんとに嬉しい。ここでもあたたかい激励を受けた。
 加計駅は、JR可部線という鉄道の駅であった。広島を起点として山陽線の横川と可部を結ぶ路線で、四季折々の太田川流域の眺めが人気だった。それが、2003年11月に可部−三段峡(戸河内町。30キロ地点の深入山入り口から近い、有名な景勝地)46・2キロが廃止されてしまった。加計駅も、だからいまは廃駅である。
 いや、駅だけではない。
 どういうわけか、私たちがいま走っている戸河内町、加計町もつい3週間前から、実は存在していないのだ。
 日本中が町村合併で大騒ぎしているのは、ご存知と思う。
 市町村合併特例法の期限切れまで半年となる10月1日、加計町、戸河内町、それに筒賀村の3町村が合併し、「安芸太田町」という人口約9200人の新しい町に生まれ変わったのである。  
 自分たちの住む町の名が急に変わるというのは、どんな感じだろうか。1年前の試走以来、すっかり戸河内、加計という名に親しんでいた私でもさびしい気がするぐらいなのだから。
 「能海寛・ふるさと100kmトレイル遠足」は、町村合併の嵐の中で進行した、ということを走り手たちは、ほんの少し頭の片隅にいれておいたらいい、と思う。
 
 林さんと、踏み切りを渡り、その安芸太田町をゆっくり行く。試走会では味を楽しんだタイ焼き屋さんに寄る余裕はなかった。
 20キロを3時間で、というのが海宝さん主催の「16時間内100キロ走」での私の大雑把な作戦だ。そんなにゆっくり?、という人もいるだろうが、どうあがいても結果的に大体そうなる。
 ヒマラヤでよく使ったネパール語の「ビスターリ、ビスターリ(ゆっくり、ゆっくり)」あるいは、語感が好きで覚えたアフリカ・スワヒリ語の「ポレポレ(ゆっくり)」が、まさに100キロに合うのである。
 少しずつ登りになってきた。いよいよ、恐怖の登り坂が始まるのだ。午後2時09分、「60キロ」の表示があった。
 膝が痛む下りより、まだ登りのほうがいい、という林さんが少し先に出た。そのまま、ゆっくりゆっくり遠ざかってゆく。
 ああ、ほんとうに時間内ゴールできるだろうか。頭の中でカチャカチャ、電卓を叩きながら、数時間後の闇を想像しつつ、こちらは足早に歩き続ける。(続く)

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EMOTO Yoshinobu 江本嘉伸
著者:江本 嘉伸(えもと よしのぶ)さんのご紹介


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