第1回「能海寛・ふるさと100kmトレイル遠足」江本流完走記 其の6

 太田川左岸支流の滝山川に沿って、しばらくは長い登りが続く。
 花崗岩の、深く美しい渓谷である滝山川には、いまは大きなダムが二つできている。
 温井(ぬくい)ダム。
 そして、王泊(おうどまり)ダム。
 平成14年(2002)に完成した温井ダムは、なんとえん堤の高さが156mもある。
 アーチ式コンクリートダムでは、富山県の黒部第4ダムに次ぐ、わが国第2位の高さだそうだ。
 総貯水量は、8200万トン。洪水調節が第1の目的であるらしいが、今時、こんなでかいダムつくったのか、と驚く。

 その温井ダムに向かう坂道を、ひとりでゆっくり歩いている。
 スタートしてすでに9時間あまり。そろそろトップはゴールに迫っている頃かもしれない、と思う。
 
 あとから記録を見ると、事実、1位の村木俊之さん(43才、静岡県)は、午後2時22分56秒に波佐にゴールしていた。結構きついコースと思うのに、3位までは、午後2時台に次々にゴールインしたというから、しんがり近くを行く私とは、なんという違いか。ついでながら、村木さんを含め4位までは40代の男性、上位10人となると、40代が5人、30代が3人、50代が2人となっている。
 
 大体、「普通のやや高年令ランナー」が信じられないほど強いのが、ウルトラ・マラソンの持ち味である。今回もその傾向は証明されたようだ。
 きのう配布された大会の資料によれば、今回の大会の参加者の平均年令は、男が50.5才、女が47.9才だそうだ。最高令はそれぞれ71才、67才で、20才代となると女性は私の前を行く林真樹子さんら3人、男性はひとりしか参加していない。
 
 高年齢化の時代、年令が高い人の新たな楽しみ、として、超長距離ランは登場した。強い人も多いが、マイペースでのろのろ行くのが精一杯という、私のようなかったるいランナーも参加できることが大きい。
 その意味で、海宝さんの大会の「16時間の遠足(とおあし)」という設定の絶妙さには、感嘆させられる。これは、ほとんど新しい文化と言うべきではな
いか。これが13時間でも14時間でも、ダメなのである。16時間。それが正しい。
 
 ただし、60代の人の中にも平気で11、2時間以内で100キロを走る人が少なくないことは言っておかなければならない。
 1年前の試走会では私と同年齢の金澤正雄さん(64、愛知)がトップで走りきった。独特の機関車のような、少し大袈裟にいえば、かってのザトペック(ヘルシンキ五輪で5000、1万、マラソンの3つの金メダルを獲得したチェコの伝説的なランナー。独特のフォームで「人間機関車」と呼ばれた)のようなフォームで走る人で、遠くからも金澤さんであることがわかる。今回も11時間台でゴールしている。
 同じく同世代の土屋晋さん(63、東京)となると、話にならない。
 この人は、ビールを飲みながら平気で走るのだ。
 土屋さんは、製紙会社の営業で忙しく働いていた人で、ランニングなどまったく無縁の人生だった。私(164センチ、53キロ)と似た背丈なのに体重は80キロもあったそうだ。
 55才になって走り始め、どんどん体力がつき、体型も変わっていった。いまでは体重60キロ、しまった体に変身した。 
 アルコールに強く、トレーニングでも大会でも、途中ビールを飲んで全然平気である。サロマ湖の時など、途中で友人と鍋を囲んで一杯やり、また走り続けたという恐ろしい人だ。
 あとで聞くと、今回も「そう、飲みましたよ。中間地点と70キロ、80キロあたりで」と、平然としていた。
 ビールを飲んだら最後、へたりこんでしまいそうな気がするが、こういう人はかえってエンジンに火がつくらしい。土屋さんは11時間12分10秒で16番目にゴールした。

 人のことばかりホメずに、自分のことも少しは前向きに語ろう。
 私は40才になって走り始めた。ジャーニー・ランの先駆者でもある友人の三輪主彦(かずひこ)に青梅マラソンに誘われたのがきっかけだった。
 当時、新聞社の社会部にいて、運動不足の上、打ち合わせと称して1日5食のような不規則な暮らしをしていたから、それを変えようと思ったこともある。新聞記者は「足で稼ぐ」と言われるが、実際は車を乗りまわし、デスクにかじりつくことのほうが多い。
 よし、初心に戻ろう、とその気になったのである。
 時間がとれる日はできるだけ日に10キロ走るようにした。そのうち、意外に身体に合っていたのか、記録が伸びていった。いまではその倍もかかりそうだが、30キロを2時間06分、フルマラソンを3時間08分というのが私のベストである。
 が、何よりも世界のどこに行っても、「1日10キロ走る」ことを課し、実行したのが、私のアホらしさの所以(ゆえん)である。モンゴルや北極やシベリアやチベットで走った体験を『鏡の国のランニング』(窓社)という本に書いたりした。マイナス35度の北極で走ったこと、標高4500mのチベット高原で走ったことなど、まあ、一種の自慢話と言われればそうなのだが、自然に身をさらしながら異文化世界を体感することにひどく興味を持ったのである。
 100キロをはじめて走ったのは、ご存知「しまなみ海道」で、ほかには「奥多摩一周山岳耐久レース(71.5キロ)」に出るくらいのものだ。海宝さんがこの前までやっていた名古屋から金沢まで走る例の「さくら道」など、250キロを越える距離をワン・プッシュで走りきるなんて真似は、到底できない。
 
 さて、現場に戻ろう。
 登りは13.5キロ続くはず。ムリをしないよう、この間は歩いて通す作戦である。が、さすがに長く、ゆるやかな場所では、幾分走りをいれる。でも、あくまでのろのろのろのろの走りだ。
 時折、橋のようになった箇所がある。そこから峡谷をのぞきこむと、その谷の深さに震え上がる。なんと深いのだ。
 トンネルをいくつか過ぎる。歩道が狭く、通り過ぎるトラックの爆音が怖い。
 やがて、右前方に、広場のようなところが見えてきた。
 ダム湖の展望台だろう。
 ここでひとり若いランナーを抜く。足が辛そうだ。
 64.2キロ地点。温井ダム駐車場のエイド・ステーションだった。
 ふぅ。ほぼ3分の2まで来た。ここまでたどり着いたからには、時間内完走をめざすぞ。 先ほどからスタッフの車が何度もコースを往復している。最後尾のランナーを気遣い、あまり遅れそうなら、収容しますよ、という意味だろう。
 ここで、スタッフの方に、短時間硬直した足をマッサージしてもらった。なんだか生き返る気がする。よしっ、なんとかゴールまで行くぞ!とひそかに誓う。
 「ここでやめます」
 さきほど抜いた若いランナーの声がした。
 あれ?この人は、きのう紹介された新聞記者・・・。(続く)

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EMOTO Yoshinobu 江本嘉伸
著者:江本 嘉伸(えもと よしのぶ)さんのご紹介


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