100キロ走って100年前の歴史に挑む
ー忘れられたチベット探検家・能海寛を思い出す試みー
アテネ五輪は、2004年。では、前々回のオリンピックはどこ?
女子マラソン大会がはじめて実施されたのは、いつ?どこで?
世界最高峰のエベレストが初登頂されたのは、何年?どこの隊?
世の中、忘れてばかりいる。いろんなことを、私たちはさっさ、と忘れる。事件も歴史も。最近では、なんと日本が戦争をしたことも知らない若者がいるんだそうだ。
そんなご時世からだろうか、闇の中を、158人のランナーと走り出して、不思議な気持ちに襲われた。2004年10月23日午前5時。「能海寛・ふるさと100kmトレイル遠足」のスタートを切ったところである。闇の中を島根県金城町波佐(かなぎまち・はざ)から広島県境の峠に向かってゆっくり走りながら、きょうだけは私たちは「思い出すために走っている」のだな、とそんな思いにとらわれたのだ。
思い出すって誰を?
勿論、この金城町にいまもある浄蓮寺住職であった能海寛(のうみ・ゆたか)を、です。
まあ、おおかたのランナーは、高低差647mの難コースへの興味と不安、早々にゴールしないと真っ暗闇になりそうな山のコースであること、おまけに前日、近くにクマが出た、との主催者の海宝道義さん自身の目撃情報(小熊だったらしい)にそれどころではないのだが、一応「能海寛」の名を冠した大会だ。多少なりともその人物への関心はあると思いたい。
もう一度、自分に質問。なぜ、私たちはここを走っているのだろう。
明治の昔、もう百年以上も前、チベットに向かってそのまま帰らなかったひとりの仏教学僧を思い出すために走っているのだ。
明治維新をきっかけに存亡の危機に立たされた日本仏教の真髄をチベットに求めようとした学僧。新婚3ヶ月の妻を残したまま、3年も中国大陸を彷徨い、あげく、「不惜身命(身命を惜しまず)」の書簡を残して奥地に消えた男。
そうか。走ることによって近代史の1ページを学ぶこともあり得ないことではないのだな。そう考えると、この大会が、「遠距離を走る」という行為に、とんでもない新たな問題提起をしていることに驚かされる。
能海寛の訃報が伝えられたのは、日露戦争の勝利に日本中が湧いていた100年前の1905(明治38)年である。
7月22日付けの「報知新聞」に、「探検家能海寛殺害せらる」という見出しで、「日本人の中で最も早くチベット入りを志し、1901年以来消息を絶っていた石見(島根県)の人、能海寛が、チベット国境付近で土人に虐殺されたようだ」と、伝えている。
実は、能海寛の最期は、ミステリーにあふれている。この記事は1ヵ月後に“誤報”として打ち消されるのだが、能海寛についての人々の関心は以後急速に醒めてゆき、ついには故郷の人々の間でも忘れられていった。まして近年の経済繁栄の日本社会では、島根の僧の人生など興味を持つほうがおかしい、といった風潮である。
繰り返すが、海宝さんが友人の津川芳己さんと企画した「能海寛・ふるさと100kmトレイル遠足」は、とんでもない企画である。私たちが忘れて当然と思っていた歴史の1ページを開こうとする試みだからだ。走りながら、忘れたものを思い出してほしい。
ジャーナリスト 登山家 江本嘉伸(2004年12月記)