2回目の「能海寛・ふるさと100kmトレイル遠足」/江本嘉伸
ザアッ!午前4時、裏手を流れる川の音か、と思ったが、とんでもなかった。民宿の窓をあけると、豪勢に雨が降っている。これまでのラン歴で雨の中を走った100キロの大会には出たことがない。だからというのも強引だが、スタートまでになんとか持ち直すさ、と言い聞かせる。実際、5時になると一時的に小止みになっていた。旅の小道具として小さな折り畳み傘をもってきている。ウェスト・バッグにそれを入れ、長袖の上にTシャツをダブルに着込みビニールの袋を頭からかぶって出発した。他のランナーも傘をさしたり、ビニールのレインコートを着込んだり、思い思いの雨対策を講じている。
スタートから広島県境の峠までは、ゆるいが長い登りである。暗闇の中なので、去年はあまり意識しないで済んだが、昼間車で「下見」をした人はしょっぱなからの難コースに驚いたそうだ。ことしは雨対策に加えて気温が低いので、コースの難易はどうでもいい気分。実際、じきに本降りになって、傘をさすことになった。
海宝さんが用意してくれている参加Tシャツの腕には尺八を腰にさした能海寛(のうみ・ゆたか)が傘をさしている旅姿の絵がデザインされている。傘をさしながらとろとろ走りつつ、ついにあの能海寛の旅姿そのままを再現しているではないか、とヘンなところで感動した。やりたくてこんな格好しているんじゃないが、これが意外に100キロ走には向いている、とも実感する。ずぶ濡れになって体が冷え切るより、傘で防いだほうが理にかなっている。
16キロ地点のエイドで島根県事務所のお二人と能海寛研究会の岡崎秀紀副会長があたたかいお茶をくださった。前夜祭で岡崎さんはオカリナを演奏し、東京事務所の二人は能海寛と海宝さんについていろいろ話を聞いてくれた。参加者の熱気と能海寛という島根県が生んだ明治の学僧の存在に心うたれたようだった。
実は明日23日、同じ島根県の隠岐島で島一周100キロ大会が開かれる。今回能海の大会がエントリー106人(昨年は175人)に留まったのは、どうやらそのせいもあるらしい。考えてみれば、もったいないことだ。こちらでは郷土の英傑である能海寛の志を記念して100キロ走ろうとしているのに、同じ島根の隠岐島でわざわざ日をダブらせて100キロの大会を開くなんて。そんな率直な話を島根県のスタッフとしたのである。
次のエイドでは、昨年一緒に走った林真樹子さんがいた。膝を痛めて時間内ゴールはできなかったが、ともかく100キロを自力で完走した地元島根の頑張り屋さんである。膝が完治せずことしはエイドにまわったという。雨の中、じっとランナーを待ちつづけるスタッフのほうが寒いだろうに、林さんも皆さんもほんとうにありがたいことだ。
寒いのであまりエイドで休まず、のろのろ進む。昨年よりほんの少し早く50キロの中間点に着いた。問題はこの後だ。熱いお茶とおいしい寿司をいただき、早々に出発する。
不思議な天気だ。時折雲が晴れ、一瞬だけ青い空がのぞくが、じきに雨に変わってしまう。それもかなり激しく。結局ビニールは1度も脱がなかった。後で聞いたのだが、中には破れてしまい中間点のコンビにでレインコートを買い換えた女性ランナーもいた。雨との戦いは最後まで続いたのである。
70キロを過ぎてエイドのスタッフから「峠は霰(あられ)、気温2度」と聞く。ふぇー、これはタイヘンだ。寒さが本当に心配になってきた。最下位を行く私のようなランナーにとって寒さは困るのである。歯の根があわないような状態になったら、最高にやばい。が、幸いそうはならなかった。
85キロの専光寺では住職はじめ家族、ご近所の皆さんが遅くまで待っていてくれた。昨年もお会いしているので、私のことを覚えていてくださった。おばあちゃんは「もう50回ぐらいうたった」という能海寛の歌を朗々と披露してくれる。熱いお汁粉とコウ筍のおにぎりをご馳走になり、最後に皆で記念写真まで撮って暗闇の中、最後のコースに戻った。
県境の峠は3度。あとは下りだけだ。一気に、それでも慎重に長い長い下りを走り、浄蓮寺に出るところで一瞬ルートを迷い、それでもなんとかゴールインした。15時間57分54秒。「ゼッケン1番」が一番ビリとなったが、この悪天候の中、完走はやはり嬉しかった。皆さん、来年も会いましょう!
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EMOTO Yoshinobu
著者:江本 嘉伸(えもと よしのぶ)さんのご紹介