宮古島100キロ不完走記/江本 嘉伸


2006年08月14日[ 大会参加・感想記]


美しい来間大橋

 1月というのに気温22℃。バッグに隠した東京用の羽毛服のことを考えるだけで、ぞっとするあたたかさだ。海宝道義さんが主催する「宮古島100kmウルトラ遠足(とおあし)」にはじめて参加するためにやってきた宮古島。完走を目指すのは勿論だが、「宮古語」を持つ沖縄でもとりわけユニークな島を一周しながら何が見えるのか、楽しみだ。

 06年1月14日午前5時。561名のランナーのひとりとなって暗闇の中のスタート。予想以上に暗いが、月が出ているので助かった。月の光。ほぼ24時間、明るい照明に照らされる都会の暮らしで、そのありがたさに気づく人はほとんどいないだろう。
 闇の山中を走る山岳耐久レースでも、痛感することだが、月の満ち欠けは、日々の暮らしにどんなに深い関わりを持っていたか、それを忘れていた自分を反省する。きょうも月の存在に感謝するスタートとなった。

 東京では、帽子から手袋まで完全な防寒スタイルで走っていたのに、いまはTシャツ、膝下までのスパッツといういでたちだ。未明はもっと冷え込むか、と思っていたが、この程度で十分なのは、風がほとんどないからだろう。島の風は厳しい。その日の風の強さでファッションは左右される。

★写真撮影:江本嘉伸氏
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海にうつる朝日


池間島が近づく


わんこを抱いておとうさん

 川のない島

 2時間たっても、まだ暗い。いくら冬といっても、東京なら朝7時には明るくなっているだろう。
 1時間違うのである。夜明けも日没も。朝が遅い分、夜の来るのも遅くなるので、のろのろランナーには好都合と言うべきなのである。
 島というと、まず海岸線を一周することを思い浮かべるが、ぐるり一周できる島は、そんなにはないだろう。大概、低くとも山や丘陵があって、どこかで海を遮る地形部分があるものだ。
 ここ宮古島も海岸線だけを走ることはできない。どうしても道路が島の内側を走っているところがあって、海岸線から離れてしまう。ただし、ここには低くとも聳え立つ山がないので、海には何度でも出会える。 
 島の中心地である町は平坦な地形から「平良(ひらら)」と呼ばれるようになった、と言われる。勿論、まったく高低がないわけではない。宮古島の観光案内によれば、最も高い「横竹山地」というエリアは、114mあるそうだ。地図には野原岳(109m)はじめ、80m、90mの山がいくつか存在する。
 白み始めた道路の右手に碑のようなものが見えた。気になって通り過ぎてから引き返し、きょう最初の写真を撮った。宮古島の風景を記録しよう、と大きめなウエスト・ポーチに不慣れなデジカメを入れている。
 黒地の石碑に「水」という白い文字がくっきり浮かびあがっている。それが気になったのだ。
 ぼんやり考えながら、気づいた。
 山だけではない。この島には川がない。
 島全体がサンゴ礁の隆起から成っていて、川が生成される過程がないのだ。
 とすると、水はどうしているのか。
 地下水である。
 島を形成する珊瑚礁は、琉球石灰岩と呼ばれている。水をよく通すのが特徴で、雨は地表をながれることなく地下に浸透して地下水となる。
 ここには世界でも珍しい「地下ダム」というものまであるらしい。
 石灰岩で濾過され水質はいいが、それは汚れやすいということでもある。島面積の半分以上を農地が占めるこの島では、農薬や家畜のし尿など水が汚染しやすい条件もまた揃っている。
 1988年、地下水の汚染が起こった。農薬に由来する硝酸性窒素の汚染だっという。生活用水のすべてを地下水に頼っている島の人たちにとって衝撃であった。
 この年の6月、「宮古島地下水水質保全対策協議会」が発足し、以後、島の人たちは水質の保全に最大の注意を払うようになった。じっくり読んでいるヒマはなかったが、この碑はそうした決意のあらわれなのだろう。

 ようやく太陽が顔を出したのは、私が20キロ地点にさしかかる頃だった。海に太陽のひかりがゆらゆら揺れているのに、しばらく見とれてしまった。
 宮古島本島と池間島(いけまじま)という小さな島をつなぐ「池間大橋」が見えてきた。風で飛ばされないように帽子を脱いで渡る。
 時にはウミガメやマンタが泳ぐ姿も見えると聞いているので、下をのぞきこみながらゆっくり走る。なんという透明な海だ!サンゴ礁を削り取ってつくった船の「通り道」もはっきりわかる。

 今回の大会で人気を独占したのは、何といっても犬連れランナーのIさん一家だ。宮古島100キロを縁で結婚されたIさん夫妻は記念の10回大会にご長男のほか「海(かい)」「夏海(なつみ)」の2匹の愛犬(柴犬です)をバギー車に乗せて押しつつ見事100キロを走りぬいた。そのご一家に池間島で追いつかれてしまった。すごいぞ、この一家は。
 太陽が昇ると、暑さが身にしみる。脱水症状にならないよう、エイドで水分をしっかり摂る。


これがサトウキビの山


道を歩いていた牛


ブーゲンビリヤ

 サトウキビの収穫

 大型トラックの往来が目立ってきた。大体がサトウキビを積んで、製糖工場に向かうのである。 宮古島の畑の主産物は、サトウキビである。葉タバコもあるが、面積でいえばずっと少ない。そして、いまがサトウキビのまさに刈り入れシーズンなのだった。
 私が宮古島に着いた1月12日、島の新聞「宮古毎日」や「宮古新報」は、それぞれ「宮古本島 製糖作業始まる」「宮古本島2工場 製糖操業がスタート」という見出しで製糖工場の操業を一面トップ記事としていた。年に2ヶ月操業する製糖工場が、11日にことしの仕事を開始したわけである。
 これは、私のような物好きのランナーにとって、ありがたいことだった。サトウキビをどう収穫して、どう処理するのか、滅多に見る機会がないのだから。多忙であろう島の人々には申し訳ないが、この際勉強させてもらおう、と思った。

 宮古島は昨年10月1日全島が合併し、人口56000人の「宮古島市」となったばかりだ。観光をべつにすれば、前述したようにサトウキビ作りが基幹産業で、いまちょうど一昨年夏 に植えられたキビが成熟し、あちこちで収穫作業が行われている(昨年夏に植えたキビはまだ背が低く青々としているのに較べ、一昨年のものは背が高く長い穂をつけているので簡単に区別できる)。
 さきほどの地元紙は2紙とも平均糖度が「14.31-15度」で、ことしのサトウキビは品質が高く、豊作であると報じている。ハウスミカンや梨の平均糖度が12度、メロンが14度ぐらい、リンゴのフジの平均が16ー18度というから、かなり甘いことがわかる。実際、しかし、中間地点のエイドで、あるいは池間島の露店で飲んだしぼりたてのサトウキビ・ジュースの甘さにはたまげてしまった。サトウキビの茎をしぼり器に押し込み、出てきた液体をコップに入れて飲むのだが、甘味料を加えたわけでもなく、こんなに甘かったのか、と信じられない気持ちだった。
 
 「甘さ」は、その国の経済力をはかる指標でもある。貧しい国は甘さを求め、豊かになった国では、むしろ甘さを遠ざけようとする。成人病予防とかダイエットとか、理由はいろいろだ。しかし、沖縄のサトウキビは「健康食品」として、その甘さの販路を拡大しているようだ。
 ブラジルなどではアルコール燃料、エタノールの原料として大量に収穫されているサトウキビ。広い畑なら機械化したシステムを使えるが、ここでは狭い畑が多く、ほとんどが手作業になる。刈り取り、大きな束にまとめるのがしんどそうだ。
 
42キロエイドの珍事

 歩くより少しだけ早い、という程度のランでどうにか42キロのエイドにたどり着いた時、おそらく長距離大会史上滅多にないであろうまったく想定外のことが起きた。「お疲れさまあー、」といつもの美しい笑顔で迎えてくれたスタッフのK林さんが、次の瞬間、こんなことを言ったのだ。
「ここはモンゴル語かロシア語で歌わないと通せませんよ」。
 何のこと?ちょっと待ってよ、ここは路上カラオケじゃないんだから。と言っても「海宝さんの命令です」と言って聞かない。他のスタッフたちも同調して拍手。どうやら以前、海宝さんの前で得意げに歌ったことが裏目に出たようだ。
 そんなことできるか、などしばしやりとりしましたが、突然面倒になった。
 わかった、歌うよ、歌うよ。
 100キロマラソンの歌なんて知らないので、ロシア語で「カチューシャ」を歌った。
 まあ、いいテンポの曲ではあるが、100キロ走のエイドで歌うものでもない。歌いながら、我輩は一体何をやっておるんだ、と思いましたね。
 
宮古語(ミャークフツ)の面白さ     
 中間地点までまずまずのペースでたどり着いた。
 ここで昼食をゆっくり頂き、いよいよ正念場にかかる。
 ゆっくりペースだった足取りは、さらにだらしないものになってゆく。ただ、うつりゆく風景や、地名や方向を示す掲示板が、新しい情報を与えてくれるのが、バテはじめた身体に刺激となっている。
 60キロ付近であらわれた「城辺町」という標示板。「ぐすくべちょう」と読む。城とは「ぐすく」なのだ。「ぐすく」は沖縄の歴史と文化を理解するために欠かせない言葉だろう。
 あちこちの看板に書かれている「んみゃーんち」という言葉もおもしろい。
 宮古島に関心を持った人には自明のことだが、これは沖縄本島の「めんそーれ」と同じ意味、「いらっしゃい」あるいは「歓迎」を意味する。
 このように宮古島は、沖縄本島とはまったく違う言葉「(ミャークフツ(宮古語)」を持つ。沖縄の各島にはそれぞれ固有の伝統文化があり、それは宮古島のように本島から離れた島では島言葉にもあらわれる。
 
 63キロあたりで、左の股関節にぴりり、痛みが走った。初めての体験である。体力は残っているが、痛みで走りにくく歩くことが多くなった。
 これまで故障らしいものを体験せずにランニングを続けてこられた身である。
 これは何かのシグナルかもしれない、と考え、頑張るのをやめた。私の宮古島は70キロの東平安名崎(ひがしへんなざき)で、終わった。
 でも、十分楽しかった。宮古島という新たなる文化圏を垣間見ることができたことは、完走することにもまして大きな喜びだった。
 めざしたいのは100キロという距離だけではない。その土地との会話である。

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EMOTO Yoshinobu
筆者:江本 嘉伸(えもと よしのぶ)氏のご紹介


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