しまなみ遠足は芸術作品だ!
津軽海峡は深い海で、北海道のヒグマはここ越えて本州に来ることはなかった。しかし九州と本州、四国は一万年前の氷河期には陸続きで、動植物の行き来は自由であった。その後温暖化が進み海水が増え四国と本州は瀬戸内海で隔てられた。陸続きだったのは人類の歴史からいえば、昔のことではない。縄文人たちはすでに日本列島のあちこちに住み、獲物を追い、木の実を採集して暮らしていた。私のDNAの中にはご先祖様がゾウを追って、実際瀬戸内海からはゾウの化石がたくさん出てくるのだが、走り回っていた記憶がかすかに残っているようだ。
〜〜〜宮古島を走って〜〜〜 加村雅柄
いつかは走ってみたいと思っていた宮古島遠足、遠いのと他のレースとの関係でなかなか実現しませんでしたが、一度100kを走ってみたいという走友たちの言葉に、それなら気候温暖で景色も楽しめそうな宮古島を走ろうと意気投合、一緒にトレーニングを始めたのが去年の春のこと。
毎日曜日、ゆっくり、長く走るトレーニングを重ねて大会に臨みました。
真冬の東京から空路3時間、降り立った宮古島の、半袖が心地良い気候に気持が弾みます。
空港で沖合の下地島に赴任している走友と合流し、早速コースの下見を兼ねて、ドライブに連れて行ってもらいました。
空港から出ると、サトウキビ畑が延々と続く沖縄ならではの風景が続き、やがて目の前いっぱいに海が見えてきました。
しろうと集団の「お台場ぐるぐる」報告/江本嘉伸(地平線会議代表世話人)
会場の「船の科学館」に着いたのは3月3日午後6時をまわっていた。おお、走ってる、皆、ぐるぐる回っている。エイドのテントには人だかり。もういろいろおいしそうなものが出ている。そして、テントの前での、一周したランナーが輪ゴムを受け取るおなじみの風景。5度目の参加なのでなじみの顔が大勢いる中でことしはランニングとは無縁の新顔が目立ったのが楽しかった。以下は、海宝道義さん主催の恒例の「2007年24時間チャリティラン・ウォーク」の独断的報告。
宮古島100キロ不完走記/江本 嘉伸
06年1月14日午前5時。561名のランナーのひとりとなって暗闇の中のスタート。予想以上に暗いが、月が出ているので助かった。月の光。ほぼ24時間、明るい照明に照らされる都会の暮らしで、そのありがたさに気づく人はほとんどいないだろう。
闇の山中を走る山岳耐久レースでも、痛感することだが、月の満ち欠けは、日々の暮らしにどんなに深い関わりを持っていたか、それを忘れていた自分を反省する。きょうも月の存在に感謝するスタートとなった。
東京では、帽子から手袋まで完全な防寒スタイルで走っていたのに、いまはTシャツ、膝下までのスパッツといういでたちだ。未明はもっと冷え込むか、と思っていたが、この程度で十分なのは、風がほとんどないからだろう。島の風は厳しい。その日の風の強さでファッションは左右される。
2回目の「能海寛・ふるさと100kmトレイル遠足」/江本嘉伸
ザアッ!午前4時、裏手を流れる川の音か、と思ったが、とんでもなかった。民宿の窓をあけると、豪勢に雨が降っている。これまでのラン歴で雨の中を走った100キロの大会には出たことがない。だからというのも強引だが、スタートまでになんとか持ち直すさ、と言い聞かせる。実際、5時になると一時的に小止みになっていた。旅の小道具として小さな折り畳み傘をもってきている。ウェスト・バッグにそれを入れ、長袖の上にTシャツをダブルに着込みビニールの袋を頭からかぶって出発した。他のランナーも傘をさしたり、ビニールのレインコートを着込んだり、思い思いの雨対策を講じている。
済州島200km遠足の想い出
2005年韓国・済州島200kmウルトラマラソン兼ハラ山国立公園146kmトレイルラン大会は、本年3月11日(土)から12日(日)にかけて、韓国のハワイと言われる、済州島で行なわれた。残念ながら、146kmのトレイルラン(ハラ山、標高1950m、経由)は、3月としては観測史上最悪の天候のために直前になって中止になりました。
100キロ走って100年前の歴史に挑む
ー忘れられたチベット探検家・能海寛を思い出す試みー
アテネ五輪は、2004年。では、前々回のオリンピックはどこ?
女子マラソン大会がはじめて実施されたのは、いつ?どこで?
世界最高峰のエベレストが初登頂されたのは、何年?どこの隊?
世の中、忘れてばかりいる。いろんなことを、私たちはさっさ、と忘れる。事件も歴史も。最近では、なんと日本が戦争をしたことも知らない若者がいるんだそうだ。