第1回「能海寛・ふるさと100kmトレイル遠足」江本流完走記 其の8(最終回)

手厚いもてなしがありがたかった専光寺から、いったんコースを少し戻り、いよいよ最後の15キロに挑戦する。
 とうにライトの世界になっているが、月の光に助けられて、点灯する時間は案外少ない。けれども時に樹林にさえぎられて暗闇となる部分があり、そんな場合は足元を照らさないと、一歩も進めない。スピード・ランナーは別としてライトがなければ、この大会は参加できない、と思う。
 やがて広い平原のような場所に出る。いまは暗いので、その「平原感」がわかりにくいが、明るいうちに通過したランナーたちは、いささか気落ちしただろう。ちょうど北海道の原野をつっきるように道がまっすぐに伸びており、はるか右前方にはサイロにも似た建物が見える。変化の多かったこれまでのコースに較べて突然風景が動かなくなり、いくら頑張って走ってみてもなかなか進んでいる感じがしないのだ。そのことを1年前の試走会で体験した。

第1回「能海寛・ふるさと100kmトレイル遠足」江本流完走記 其の7

 スタート前日の10月22日夜、ときわ会館で行われた前夜祭で、ふたりの若手ランナーが紹介された。
 ひとりは、私の前を行く女性最年少の林真樹子さん。もうひとりは「男性最年少」のW君。28才。君付けで呼ばせてもらったのは、彼が中国新聞の記者であることに、一方的に親近感を覚えたからだ。
 私は30数年新聞記者の仕事をしたが、走り出したのは40才になってからだ。 記者は車に乗ってふんぞり返っていてはいけない、足で書くものだ、とか「不惑」になってから急ごしらえの適当な理屈をつけて忙しい時間の中、それでも以後は、よく走りつづけたと思う。
 しかし、28才頃といえば社会部の事件記者となったばかりで、とてもとてもランニングなんて雰囲気ではなかった。

第1回「能海寛・ふるさと100kmトレイル遠足」江本流完走記 其の6

 太田川左岸支流の滝山川に沿って、しばらくは長い登りが続く。
 花崗岩の、深く美しい渓谷である滝山川には、いまは大きなダムが二つできている。
 温井(ぬくい)ダム。
 そして、王泊(おうどまり)ダム。
 平成14年(2002)に完成した温井ダムは、なんとえん堤の高さが156mもある。
 アーチ式コンクリートダムでは、富山県の黒部第4ダムに次ぐ、わが国第2位の高さだそうだ。
 総貯水量は、8200万トン。洪水調節が第1の目的であるらしいが、今時、こんなでかいダムつくったのか、と驚く。

第1回「能海寛・ふるさと100kmトレイル遠足」江本流完走記 其の5

 中間地点までの間に、2、3人、先行しているランナーに追いつく。先に書いたが、この大会の参加者は「ほどほどのベテランぞろい」の感じ(エリート・ランナーばかりという意味ではない)で、まったくの初心者はごくわずかしかいないのではないか、と思う。饅頭が出た「珍々街道」のエイドで「この前のエイドを4人が通過したそうです」と教えてくれたのは、あなたたちの後ろにはもう4人しかいませんよ、という意味だったのだ。いま追いついたランナーは、その中でも私の走力に近いという意味で親近感を感じさせてくれる貴重な人たちだ。
 

第1回「能海寛・ふるさと100kmトレイル遠足」江本流完走記 其の4

 自慢することでもないが、私は終戦後のひもじさを知っている世代である。横浜に生まれ育ち、幼い身に、何かいつも腹を空かせていたことを記憶している。そして、あの時代、子どもに腹いっぱい食べさせてやれなかった親たちの苦労を、最近になって思ったりする。
 これは好きでやったことだから文句はいっさい言えないけれど、大学の山岳部でもひたすら飢えた。とにかく金がないので、1か月山に入っていても、米と味噌さえあればなんとか、という食生活だったのだ。ほとんど拾い物で食いつないでいたこともある。(他のパーティーが置いていった魚肉ソーセージなんか最高の収穫だった!)。
 いまでも、ひもじさの癖が、いろんな場面に出てくる。走る前になるべくよく食べ、エイドのない山道などでは3日は生きていけるんじゃないか、とひやかされるくらい沢山の食べ物を背負う。100キロ遠足のようにエイドが豊かな大会では、ほとんどすべてのエイドで立ち止まり、なるべくすべての種類の飲食を試し、時にはウエスト・ポーチに詰め込んだりする。
 

第1回「能海寛・ふるさと100kmトレイル遠足」江本流完走記 其の3

 聖湖は、周囲27キロの人造湖だ。
 臥龍山(1223m)をあおぐ、森に囲まれた静かな湖で、あたりは、リゾート地としても開発されている。毎年9月には、湖畔を走る聖湖マラソン(ハーフ)も催されている。
 
 本来なら、とても気持ちのいいランができそうないいコースなのだが、100キロを走る身としては、まだほんの序盤、あまり楽しむ余裕はない(ハーフも悪くないな)。それにこの3日間、風邪で寝ていたつけが、早々と出てきて、やばいなあ、もうしんどいなあ、と思い始めている。
 そんな時、すずやかな娘さんの声を聞いたので、元気が出ないわけはない。
 
 声をかけてくれたのは、前夜祭で最年少女性ランナーとして紹介された地元島根県の林さんだった。

第1回「能海寛・ふるさと100kmトレイル遠足」江本流完走記 其の2

 10月23日午前3時過ぎ、起床。1階の食堂で朝食をいただく。
 外は、ひんやりしている。長袖シャツの上に半そでTシャツを着ることにする。暑くなったら長袖を脱げばいい、とゼッケン番号は半袖につけた。「1」という恐れ多い数字だが、山の中が多いし、人もあまりいないコースなので、番号など意識せずに行くべし。きょうの体調では、ともかく「完走」が一番の目標だ。
 前夜祭をやった「ときわ会館」まで、バスで運ばれた。あたためられた前夜祭会場に入ると、 昨夜のご馳走がよみがえる。

第1回「能海寛・ふるさと100kmトレイル遠足」江本流完走記 其の1

すっかりご無沙汰してしまいました。
 10月23日、「能海寛・ふるさと100kmトレイル遠足」を、なんとか制限時間ぎりぎりで完走した後、ほかの用件に追われて、あっという間に師走もなかばとなっていました。
 でも、約束通り、「学習ノート」は今後も年を越えて続けます。
 100年前のミステリーじみた歴史に多少なりとも関心をお持ちの方、これも縁だ、と思ってどうかおつきあいください。

 当面、2004年能海寛・ふるさと100kmトレイル遠足のことを私なりに書いてみます。来年以降参加してみよう、と思う方々、是非のろのろランナーの能海寛100キロを参考にしてください。